
ロヒンギャ難民とは?迫害の歴史から現在の難民問題まで完全解説【2025年最新】
update: 2025.10.4
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ロヒンギャ難民とは?迫害の歴史から現在の難民問題まで完全解説【2025年最新】
ロヒンギャとは何か? この疑問を持つ方は少なくないでしょう。ロヒンギャは、ミャンマー(旧ビルマ)西部のラカイン州に住む少数民族で、長年にわたって深刻な迫害を受けてきました。2017年の軍事作戦以降、約75万人が隣国バングラデシュに避難し、「世界最大の無国籍民族」とも呼ばれています。
本記事では、ロヒンギャ問題の基礎知識から歴史的背景、現在の難民危機、そして国際社会や日本の対応まで、包括的に解説します。この問題を理解することは、現代の人権問題や難民問題を考える上で極めて重要です。
ロヒンギャとは?基本的な意味と概要
ロヒンギャの定義(民族・宗教・言語的特徴)
ロヒンギャとは、主にミャンマー西部のラカイン州(旧アラカン州)に居住してきたイスラム教徒の少数民族です。彼らは独自の言語「ロヒンギャ語」を話し、この言語はインド・ヨーロッパ語族に属し、ベンガル語やウルドゥー語との類似性を持ちます。
宗教的にはスンニ派イスラム教徒が大多数を占め、仏教徒が人口の約87%を占めるミャンマーにおいて明確な宗教的少数派として位置づけられています。文化的には南アジア系の要素が強く、服装、食文化、婚姻制度などにイスラム文化の影響が色濃く反映されています。
ミャンマーにおけるロヒンギャの位置づけ
ミャンマー政府は、ロヒンギャを正式な「民族」として認めていません。政府が公式に認定する135の少数民族の中にロヒンギャは含まれておらず、彼らを「ベンガル人」と呼んで、バングラデシュからの不法移民であると主張しています。
しかし、ロヒンギャ自身は何世紀にもわたってこの土地に住んできたと主張しており、彼らのアイデンティティは「ロヒンギャ」という民族名に深く根ざしています。この名称の語源については諸説ありますが、アラビア語の「ラハム」(慈悲)に由来するという説や、古いアラカン語に起源を持つという説があります。
人口規模と主な居住地域
2017年の軍事作戦以前、ミャンマー国内には約100万人のロヒンギャが住んでいたと推定されています。現在、ミャンマー国内に残るロヒンギャは約60万人とされ、そのほとんどがラカイン州北部のマウンドー、ブティダウン、ラティダウンの3つのタウンシップに集中しています。
一方、2017年以降にバングラデシュに避難したロヒンギャ難民は約75万人に上り、以前からバングラデシュにいた約20万人と合わせて、現在約100万人のロヒンギャがバングラデシュのコックスバザール地区にある世界最大級の難民キャンプで生活しています。
参照:https://www.unhcr.org/rohingya-emergency
歴史的背景と迫害の始まり

ミャンマー(旧ビルマ)の歴史と植民地支配の影響
ロヒンギャ問題の根源を理解するには、ミャンマーの複雑な歴史を知る必要があります。19世紀にイギリスの植民地となったビルマ(現在のミャンマー)では、植民地政府が労働力確保のためにインド系住民の移住を奨励しました。この政策により、現在のバングラデシュ地域からも多くの人々がアラカン地方(現ラカイン州)に移住しました。
しかし、ロヒンギャの多くは、自分たちがこの植民地時代の移民ではなく、もっと古い時代からこの地域に住んでいた住民の子孫だと主張しています。実際、15世紀のアラカン王国時代には、既にイスラム教徒の住民がこの地域にいたという歴史的記録が存在します。
植民地時代の人口移動は、後にロヒンギャが「外来者」とみなされる根拠として利用されることになり、現在の問題の歴史的基盤となっています。
ロヒンギャと仏教徒多数派との関係
ミャンマーの人口の約87%を占める仏教徒とロヒンギャとの間には、宗教的・文化的な相違に加えて、歴史的な対立構造が存在します。第二次世界大戦中、日本軍占領下でアラカン地方では仏教徒とイスラム教徒の間で深刻な衝突が発生し、多くの犠牲者を出しました。
独立後のミャンマーでは、仏教ナショナリズムが台頭し、「ミャンマーは仏教国家である」という意識が強まりました。この中で、イスラム教徒のロヒンギャは「異質な存在」として見られるようになり、社会的な排斥が徐々に強化されていきました。
特に、過激な仏教ナショナリスト組織「マ・バ・タ」(969運動)の活動により、反イスラム感情が煽られ、ロヒンギャに対する偏見と差別が社会全体に浸透していきました。
独立後の国籍法と排除の流れ
1948年のミャンマー独立時、初期の国籍法では比較的寛容な規定が設けられ、ロヒンギャも一定の権利を享受していました。しかし、1962年のネ・ウィン軍事政権成立以降、民族主義的政策が強化され、ロヒンギャの権利は段階的に制限されていきました。
1974年の新憲法では国籍取得の条件が厳格化され、さらに1978年には「ドラゴン王作戦」と呼ばれる大規模な身元調査が実施されました。この作戦により、約20万人のロヒンギャが一時的にバングラデシュに避難する事態となりました。
これらの政策は、ロヒンギャを段階的に「非国民化」していく過程の始まりであり、1982年の国籍法制定へとつながる重要な前段階となりました。
ロヒンギャ問題の深刻化
1982年国籍法による国籍剥奪
ロヒンギャ問題が決定的に深刻化したのは、1982年の国籍法制定です。この法律により、ミャンマーの国籍は「完全市民」「準市民」「帰化市民」の3つのカテゴリーに分類され、ロヒンギャはいずれのカテゴリーにも該当しないとされました。
同法では、1823年以前からビルマに住んでいた民族のみを「土着民族」として認定し、135の公式民族リストが作成されましたが、ロヒンギャはこのリストに含まれませんでした。この結果、ロヒンギャは事実上無国籍状態に置かれ、移動の自由、教育を受ける権利、就職の権利、結婚の権利などが大幅に制限されました。
国籍剥奪により、ロヒンギャは「自国内の外国人」という矛盾した立場に置かれ、基本的人権の多くを享受できない状況が制度化されました。この法的な排除が、その後のあらゆる迫害の法的根拠として機能することになります。
暴力・差別・強制労働の実態
1982年国籍法以降、ロヒンギャに対する組織的な差別と暴力が常態化しました。彼らは移動制限により居住地域から自由に出ることができず、医療や教育へのアクセスも厳しく制限されました。また、結婚に際しては当局の許可が必要とされ、子どもの数まで制限される場合もありました。
強制労働も深刻な問題でした。道路建設、軍事施設の建設、農業労働などに無償で従事させられるケースが頻発し、国際労働機関(ILO)からも繰り返し問題が指摘されました。また、恣意的な税金や「寄付」の強要、財産の没収なども日常的に行われました。
教育面では、ロヒンギャの子どもたちは高等教育への進学が事実上不可能となり、医学、法学、工学などの分野への進学は完全に禁止されました。これにより、ロヒンギャ社会の知識層が意図的に排除され、社会の発展が阻害されました。
2012年以降の衝突と人道危機
2012年6月、ラカイン州で仏教徒とイスラム教徒の間で大規模な衝突が発生しました。この衝突は、ロヒンギャ女性に対する性的暴行事件をきっかけとして始まりましたが、背景には長年蓄積された緊張関係がありました。
衝突により約200人が死亡し、約14万人(その大半がロヒンギャ)が避難を余儀なくされました。政府は緊急事態を宣言し、軍が展開しましたが、ロヒンギャに対する保護は不十分で、むしろ軍や警察による人権侵害も報告されました。
2012年の衝突以降、ロヒンギャは事実上の隔離状態に置かれ、国内避難民キャンプでの生活を余儀なくされました。これらのキャンプでは、適切な食料、清潔な水、医療サービス、教育機会が不足し、人道的危機が慢性化しました。
2017年の大規模弾圧と国際的非難

軍事作戦による大量虐殺と難民発生
2017年8月25日、ロヒンギャの武装集団「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」がミャンマー軍と警察の施設を襲撃したことを受け、ミャンマー軍は「テロ掃討作戦」と称する大規模な軍事作戦を開始しました。
しかし、この「掃討作戦」は実際には民間人を標的とした組織的な暴力でした。国連の調査によると、軍と警察、さらに一部の民間人が、ロヒンギャの村々を焼き払い、女性や子どもを含む民間人を無差別に殺害しました。また、大規模なレイプ、拷問、強制失踪などの重大な人権侵害が組織的に行われました。
この軍事作戦により、わずか数ヶ月の間に約75万人のロヒンギャがバングラデシュに避難することとなり、現代史上最も急速な難民流出の一つとなりました。避難民の多くは、命からがら国境を越え、極度に困難な条件下でバングラデシュに到着しました。
国連や人権団体の調査報告
2017年の軍事作戦に対して、国連をはじめとする国際機関は迅速に調査を開始しました。国連人権理事会が設置した独立調査委員会は、2018年に詳細な報告書を発表し、ミャンマー軍による「最も重大な国際犯罪」を認定しました。
調査報告書では、殺人、レイプ、拷問、強制失踪、強制移住、文化的・宗教的施設の破壊など、広範囲にわたる犯罪行為が組織的かつ計画的に実行されたことが明らかにされました。特に性的暴力については、「武器として」組織的に使用されたと指摘されています。
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチやアムネスティ・インターナショナルも独自の調査を実施し、衛星画像分析や証言収集を通じて、354以上のロヒンギャの村が破壊されたことを確認しました。これらの証拠は、後に国際司法裁判所での訴訟でも重要な役割を果たしています。
「民族浄化」や「ジェノサイド」との指摘
国際社会は、2017年の軍事作戦を「民族浄化」として非難し、一部の国や専門家は「ジェノサイド」(集団殺害罪)に該当する可能性があると指摘しました。米国、カナダ、オランダ、フランスなどの議会は、この軍事作戦をジェノサイドと認定する決議を可決しました。
2019年11月、アフリカ・イスラム協力機構に属するガンビアは、ジェノサイド条約違反を理由としてミャンマーを国際司法裁判所(ICJ)に提訴しました。ICJは2020年1月、ミャンマーに対してロヒンギャを保護するための暫定措置を命じましたが、ミャンマー政府の対応は限定的です。
「ジェノサイド」の認定は法的に非常に厳格な基準を要求しますが、少なくとも国際法上の重大な犯罪が組織的に実行されたことは、複数の国際機関によって確認されています。この問題は現在も国際司法の場で継続的に検討されています。
参照:https://www.icj-cij.org/case/178
難民としてのロヒンギャ
バングラデシュ・コックスバザール難民キャンプの現状
現在、約94万人のロヒンギャ難民がバングラデシュ南東部のコックスバザール地区に設置された難民キャンプで生活しています。これらのキャンプは33の地区に分かれ、世界最大の難民キャンプ群を形成しています。特にクトゥパロン・バルカリ拡張キャンプは、単一のキャンプとしては世界最大規模です。
キャンプの生活条件は非常に厳しく、1平方キロメートルあたり4万人以上が居住する過密状態となっています。住居はビニールシートと竹でできた簡易的なシェルターがほとんどで、雨季には洪水や土砂崩れのリスクが高まります。
清潔な水へのアクセスも限られており、衛生状態の悪化により感染症の流行が懸念されています。また、プライバシーが全く確保されない環境は、特に女性や子どもの安全と尊厳に深刻な影響を与えています。キャンプ内では性的暴力や人身売買のリスクも高く、保護システムの強化が急務となっています。
東南アジア諸国への避難と生活実態
バングラデシュ以外にも、多くのロヒンギャが東南アジア各国に避難しています。マレーシアには約15万人、タイには約5万人、インドネシアには数千人のロヒンギャが住んでいると推定されますが、これらの国々は難民条約に署名していないため、ロヒンギャは法的な保護を受けられない状況にあります。
マレーシアでは、ロヒンギャの多くが不法滞在者として扱われ、当局による摘発と拘留のリスクに常にさらされています。労働許可を得ることも困難で、多くが建設業、農業、清掃業などの不安定な仕事に従事しています。子どもたちの教育機会も極めて限られており、世代を超えた貧困の連鎖が懸念されています。
海路で避難しようとするロヒンギャも多く、老朽化した船での危険な航海により多数の死者が発生しています。2015年の「ボートピープル」危機では、数千人のロヒンギャが海上で立ち往生し、国際的な人道危機となりました。
教育・医療・労働環境の課題
難民キャンプでの教育機会は極めて限られています。バングラデシュ政府は当初、ロヒンギャの子どもたちに正規の教育カリキュラムの提供を制限していましたが、国際的な圧力により、2021年から限定的なミャンマー・カリキュラムでの教育が開始されました。しかし、高等教育への道は依然として閉ざされており、若者たちの将来に暗い影を落としています。
医療サービスについては、国際NGOや国連機関により基本的な保健サービスが提供されていますが、慢性疾患の治療や専門的な医療へのアクセスは限られています。栄養失調、感染症、心理的トラウマなど、複合的な健康問題を抱える住民が多く、包括的な医療支援が必要です。
労働に関しては、バングラデシュ政府はロヒンギャの国外での就労を禁止しており、キャンプ内での小規模な経済活動のみが許可されています。この制限により、多くのロヒンギャが経済的自立の機会を奪われ、援助に依存せざるを得ない状況が続いています。
参照:https://reporting.unhcr.org/rohingya-emergency
国際社会の対応と課題

国連・国際司法裁判所(ICJ)の動き
国連は、ロヒンギャ問題を「教科書的な民族浄化の事例」として厳しく非難し、多面的な対応を展開しています。国連安全保障理事会では、中国とロシアの反対により制裁決議の採択には至っていませんが、人権理事会では独立調査委員会を設置し、包括的な調査報告書を発表しました。
2018年には、国連総会でロヒンギャの権利保護とミャンマーへの安全な帰還を求める決議が圧倒的多数で採択されました。また、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、バングラデシュでの人道支援活動を統括し、年間約10億ドル規模の支援計画を実施しています。
国際司法裁判所(ICJ)では、ガンビア政府がミャンマーをジェノサイド条約違反で提訴した裁判が継続中です。2020年の暫定措置命令に続き、本格的な審理が進められており、国際法上の重要な判断が注目されています。この裁判は、国際社会がロヒンギャ問題にどのように対処すべきかを示す重要な先例となる可能性があります。
NGO・人道支援団体の活動
国際NGOは、ロヒンギャ問題において政府間外交の限界を補完する重要な役割を果たしています。メディシン・サン・フロンティア(国境なき医師団)、オックスファム、セーブ・ザ・チルドレンなどの団体は、バングラデシュの難民キャンプで医療、教育、水・衛生、保護などの分野で包括的な支援を提供しています。
人権団体は、証拠収集と国際的な啓発活動も積極的に行っています。ヒューマン・ライツ・ウォッチ、アムネスティ・インターナショナル、フォルタイ・ライツなどは、詳細な調査報告書を発表し、各国政府や国際機関に具体的な政策提言を行っています。
また、宗教団体や市民社会組織による連帯活動も広がりを見せています。イスラム諸国だけでなく、キリスト教会、仏教団体、ユダヤ系組織なども、宗教を超えた人道的観点からロヒンギャ支援に参加しており、草の根レベルでの国際連帯が形成されています。
国際政治の対立と限界
ロヒンギャ問題への国際的な対応は、地政学的な複雑さにより限界を抱えています。ミャンマーは中国とインドという二つの大国に挟まれた戦略的位置にあり、これらの国々は経済的・安全保障上の理由からミャンマーとの関係を重視しています。
中国は、ミャンマーを「一帯一路」構想の重要なパートナーとして位置づけ、内政不干渉の原則を理由に強い制裁措置に反対してきました。インドも、国境地域の安全保障とエネルギー協力を重視し、ミャンマー軍政との関係維持を優先する傾向があります。
ASEAN(東南アジア諸国連合)は、「内政不干渉」「コンセンサス」という基本原則により、効果的な対応が困難な状況です。2021年のミャンマー軍事クーデター後には、より積極的な姿勢を示していますが、具体的な制裁措置や圧力の行使には至っていません。
これらの政治的制約により、国際社会の対応は人道支援と外交的圧力に限定され、根本的な解決に向けた強力な措置の実施が困難な状況が続いています。
日本とロヒンギャ問題

日本政府の立場と支援活動
日本政府は、ロヒンギャ問題について「深刻な人権・人道状況」として懸念を表明し、人道支援を中心とした対応を取ってきました。外務省は2017年以降、バングラデシュでのロヒンギャ難民支援として約2億2000万ドルの人道支援を実施し、主要な支援国の一つとなっています。
支援の内容は、食料、医療、水・衛生、シェルター、教育などの基本的な人道支援に加え、バングラデシュのホストコミュニティへの支援も含まれています。また、国連機関やNGOを通じた多角的な支援アプローチを採用し、特に女性と子どもの保護に重点を置いた支援を実施しています。
外交面では、日本は伝統的にミャンマーとの良好な関係を活かし、「静かな外交」を通じて状況改善を働きかけてきました。しかし、2021年の軍事クーデター以降は、民主主義の回復とロヒンギャ問題の解決を求める姿勢をより明確に示しています。日本は、G7やASEAN+3などの多国間枠組みでも、ロヒンギャ問題の平和的解決を一貫して主張しています。
日本にいるロヒンギャ難民の現状
日本国内にも、約200名のロヒンギャが在住していると推定されています。彼らの多くは1990年代から2000年代にかけて来日し、技能実習生や留学生として入国後、本国の状況悪化により帰国が困難となったケースが多く見られます。
日本政府は、2010年から「第三国定住プログラム」を開始し、タイの難民キャンプにいるミャンマー難民(主にカレン族)の受け入れを実施していますが、ロヒンギャは対象となっていません。ただし、個別の難民認定申請については、2017年以降、ロヒンギャ申請者に対する認定率が向上しており、人道的配慮に基づく在留許可も含めて保護措置が拡大されています。
日本のロヒンギャコミュニティは、「在日ロヒンギャ協会」などの組織を設立し、相互支援活動や母国の状況に関する情報発信を行っています。また、日本の市民社会とも連携し、ロヒンギャ問題への理解促進と支援活動を展開しています。
日本社会における受け入れと課題
日本社会におけるロヒンギャの受け入れには、言語、宗教、文化の違いから生じる様々な課題があります。特に、イスラム教徒としてのロヒンギャにとって、ハラール食品の入手、礼拝場所の確保、宗教的祭日の理解などは重要な問題です。
教育面では、ロヒンギャの子どもたちが日本の学校システムに適応するための支援が不足しており、言語習得と文化的統合の両立が課題となっています。また、成人に対する日本語教育や職業訓練の機会も限られており、経済的自立への道筋が十分に整備されていない状況です。
一方で、近年は日本の市民社会でもロヒンギャ問題への関心が高まっており、大学、NGO、宗教団体、地域コミュニティなどによる支援活動が拡大しています。これらの取り組みは、多文化共生社会の実現に向けた重要な実践例として注目されており、日本社会全体の国際理解促進にも寄与しています。
まとめ|ロヒンギャ問題から学ぶべきこと

ロヒンギャの定義と現状の再確認
ロヒンギャとは、ミャンマー西部ラカイン州に住む約100万人のイスラム教徒少数民族です。彼らは独自の言語と文化を持ちながら、1982年の国籍法により無国籍状態に置かれ、組織的な迫害を受けてきました。2017年の軍事作戦により約75万人が隣国バングラデシュに避難し、現在も深刻な人道危機が続いています。
この問題は、単なる民族紛争や宗教対立ではなく、植民地史、国民国家建設、権威主義、宗教ナショナリズム、地政学などの複合的要因が絡み合った現代的な課題です。ロヒンギャは「世界最大の無国籍民族」として、21世紀の人権問題の象徴的存在となっています。
現在、ミャンマー国内には約60万人、バングラデシュには約94万人、その他の国々に約20万人のロヒンギャが住んでいると推定されます。(近年は情勢悪化で精確把握が難しいため推定)彼らの大多数は、基本的人権を享受できない状況に置かれており、特に教育、医療、移動の自由、労働の権利などが深刻に制約されています。
国際社会と私たち一人ひとりにできること
ロヒンギャ問題の解決には、国際社会の包括的な取り組みが不可欠です。政府レベルでは、外交的圧力の強化、人道支援の拡大、法的責任追及の推進、第三国定住の促進などが求められます。また、企業には、ミャンマーでの事業活動が人権侵害に加担しないよう、責任ある投資とサプライチェーン管理が期待されています。
市民社会や個人にできることも数多くあります。まず、ロヒンギャ問題について正確な知識を身につけ、家族、友人、コミュニティで共有することが重要です。SNSやメディアを通じた情報発信、署名活動への参加、人道支援団体への寄付、政府への政策提言なども有効な行動です。
教育現場では、ロヒンギャ問題を人権教育、平和教育、国際理解教育の教材として活用することで、次世代の国際的視野と人権感覚の育成に貢献できます。また、地域レベルでの多文化共生の推進は、ロヒンギャのような少数者が尊厳を持って生活できる社会の基盤作りにつながります。
何より重要なのは、ロヒンギャ問題を「遠い国の出来事」として捉えるのではなく、私たち自身の社会における差別や排除の問題と関連づけて考えることです。すべての人間が生まれながらに持つ尊厳と権利を守ることは、国籍、民族、宗教を超えた普遍的な価値であり、その実現に向けて一人ひとりが果たすべき役割があります。
ロヒンギャ問題は、現代世界が直面する人権、難民、民主主義、国際協力の課題を集約的に示しています。この問題から学び、行動することは、より公正で包摂的な世界の実現に向けた重要な一歩となるでしょう。
この記事で取り上げたロヒンギャ問題について、さらに詳しく知りたい方は以下の参考資料もご活用ください:
- 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)ロヒンギャ緊急事態対応レポート
- ヒューマン・ライツ・ウォッチ ミャンマー関連報告書
- 国際司法裁判所 ガンビア対ミャンマー事件資料
- 日本外務省 ロヒンギャ問題関連ページ
参照:https://www.ohchr.org/en/press-releases/2018/08/bachelet-calls-accountability-myanmar-and-protection-rohingya
update: 2025.10.4